2007年 07月 22日
プレイバックシアター 最終章 |
自分の体験を演じてもらう。
これはとっても不思議なこと。
よく、人は死んだら天国に行き、
生まれてから死ぬまでの
一生の出来事を
ドラマのようにして見せられ
相手がどう思っていたのか
という思いをダイレクトに感じ、
反省をする。
という話しを、精神世界の本で
読んだことがある。
それと似ていると思った。
+ + + +
私の場合・・・・
「関西弁がいまだにうまく喋れない。
奈良に来てもう4年も経つというのに」
これがその時に思いついた話しだった。
その話しを基に、演じてもらうことになった。
4人の人が前に出る。
1人の女の子が演じる。
「うぅぅぅぅ・・・・・私の関西弁、出てこない」
と言う。
2人目の女性は、
思いっきり関西弁を喋っている。
3人目、4人目の男性がそれに加わり、
とにかくものすごいパワー(うるさい)
とっても可笑しくて
笑ってしまった。
関西弁がうまく喋れない
ということは、さして問題ではない。
それよりも従来の殻を打ち破り、
素の自分、ありのままに自分を
力強く前に出していく。
そういう姿勢が大事なんだとわかった。
関西弁を話すことは
ものすごくエネルギーがいること。
もっと元気にパワフルになって
生きていく。
ということを感じた。
プレイバックシアターは、
問題の解決策を見出すものではない。
傷ついた心を癒すものではない。
しかし、語り手の思いを
100%受け入れ肯定し
真剣に演じてくれる。
それを見ていると
解決策がわかる。
こうしたらいいんだなとか
自分のまちがっていたことが
素直にわかる。
勇気をもらえる。
今日は丸1日。
それでもあっという間に
時間が過ぎ
ほんの少しだけれど
プレイバックシアターの秘密がわかった気がする。
+ + + +
翌日、顔がなぜか
とてもやわらかくなっていることに気が付いた。
心も落ち着いてリラックス。
その恩恵は今も続いている。
計り知れない癒しの力が
動いたのかもしれない
と、思っている。
これはとっても不思議なこと。
よく、人は死んだら天国に行き、
生まれてから死ぬまでの
一生の出来事を
ドラマのようにして見せられ
相手がどう思っていたのか
という思いをダイレクトに感じ、
反省をする。
という話しを、精神世界の本で
読んだことがある。
それと似ていると思った。
+ + + +
私の場合・・・・
「関西弁がいまだにうまく喋れない。
奈良に来てもう4年も経つというのに」
これがその時に思いついた話しだった。
その話しを基に、演じてもらうことになった。
4人の人が前に出る。
1人の女の子が演じる。
「うぅぅぅぅ・・・・・私の関西弁、出てこない」
と言う。
2人目の女性は、
思いっきり関西弁を喋っている。
3人目、4人目の男性がそれに加わり、
とにかくものすごいパワー(うるさい)
とっても可笑しくて
笑ってしまった。
関西弁がうまく喋れない
ということは、さして問題ではない。
それよりも従来の殻を打ち破り、
素の自分、ありのままに自分を
力強く前に出していく。
そういう姿勢が大事なんだとわかった。
関西弁を話すことは
ものすごくエネルギーがいること。
もっと元気にパワフルになって
生きていく。
ということを感じた。
プレイバックシアターは、
問題の解決策を見出すものではない。
傷ついた心を癒すものではない。
しかし、語り手の思いを
100%受け入れ肯定し
真剣に演じてくれる。
それを見ていると
解決策がわかる。
こうしたらいいんだなとか
自分のまちがっていたことが
素直にわかる。
勇気をもらえる。
今日は丸1日。
それでもあっという間に
時間が過ぎ
ほんの少しだけれど
プレイバックシアターの秘密がわかった気がする。
+ + + +
翌日、顔がなぜか
とてもやわらかくなっていることに気が付いた。
心も落ち着いてリラックス。
その恩恵は今も続いている。
計り知れない癒しの力が
動いたのかもしれない
と、思っている。
by tenstars
| 2007-07-22 23:50
| 日々のこと